【タイトル】
 リアル
【著者】
 井上雄彦 (INOUE Takehiko)
【出版社】
 集英社
【配信情報】
 1~15巻

みなさんご存知の車イスバスケマンガです。私はバスケも、車イスバスケの経験もありませんし、そもそも車イスに乗ったこともありません。
野宮くんのように高校中退したり、トライアウトに参加したこともなく、清ちゃんのようにピアノも陸上の経験もありません。ただ唯一の経験と呼べるのが、久信のように父が出て行ったというところくらいです。

高橋久信 

初期の久信の印象は、勉強のできる嫌な奴です。
スクールカースト上位にいて、
成績はトップクラス、
バスケ部のキャプテン、
女の子にモテて、
タバコ吸ったり、
イジメの中心人物になったり、
人を見下したり…。

交通事故で脊損になり、そうせざるを得なくなったと言えばそこまでですが、彼は自分自身と向き合うようになります。今まで逃げてきたこと、できなかったこと、無くしてしまったものを取り戻すために、高橋くんの人生が再スタートします。

私は、車イス生活、リハビリの苦しみも、脊損のことはわかりません。ただ、父が出て行った気持ちだけならわかります。高橋家は法的に離婚していませんが、父が出て行って8年も経過しています。

父さんに会いたいのか?

母が隣にいて、ベットの上で久信が「会いてえな…… 父さんに」とボソッと呟きます。脊損してから、初めてのわがまま、やっと本心をさらけ出せたような気がします。

出ていった父に会いたいか会いたくないか、それは…父が出て行った理由、父との関係性によって変わってきます。
父のいない子どもなら等しく同じことを考えるわけではありません。二度と会いたいと思わない子どももいますし、父という存在を抹消し思い出すことすらない子どももいます。

久信の場合は、バスケを教えてくれたのが父であり、父との1on1が楽しくて、父のバスケに追いつき追い越し、その夢が叶う前に彼が小4のときに父が黙っていなくなっています…。この状況だと会いたいと思う気持ちはわからなくもないです。

会ってみたら父の風貌、空気感は変わり、サラリーマンを辞めて陶芸で生計をたて、身なりと清潔には無頓着…。
数年ぶりに会う息子にとって、急に車イス生活を余儀なくされた息子にとって、憧れだった父の姿はどこにもありませんでした。でも父も息子もお互いのことは忘れておらず、1on1のことも当然覚えていました。

私は父に会いたいと思ったことはありません。父が黙って出て行ったことは久信と同じですが、良い思い出がありません。ほとんど家にいませんでしたし、いてもゲームしていましたね。思い出はそのくらいです。そんな父が今何をしているか気にならないですし、どんな見た目かも想像しようともしませんしできません。これは久信のような父との関係性が無かったからだと思います。

8年ぶりの父と子が同じ屋根の下

リハビリの一環として、外泊で父の家に泊まります。車イス生活としてのリハビリというよりは、父と子の関係のリハビリ、久信が内に溜めてきた感情を吐き出すリハビリのようなものです。

小4の時に父が出て行って、8年も一緒にいなければ、子どもからしたらその人は他人です。私は小学校に上がる前に父が出て行ったので、もう25年以上は一緒にいませんし、会ってもいません。とてもそんな人を父とは思えませんし、他人です。両親は正式に離婚しているので、戸籍上だって二重取り消し線で消されています。

私には子どもがいないのでわかりませんが、父親からしたら、子どもはいつまで経っても、どれだけ会っていなくても子どもなのでしょうか。少なくとも久信のお父さんは、久信のことを息子だと思っていますし、いろいろなことを心配しています。

父に言いたいことある

久信は自分の声に耳を傾けてみると、父とのバスケのことばかり思い出しています。そして黙って出て行った父のこと、車に乗っていた父に街中で気づき手を振った久信、それに気づいていたのに何もしてくれなかった父のこと、そういう印象的なシーンが鮮明に蘇っています。あのとき言えなかったことを、これまで言いたかったこと、久信は父に気持ちを吐き出すことができました。

わたしだって父のエピソードであれば衝撃的なことであれば覚えています。子どもというのは、嫌なことに限って鮮明に覚えているものなのです。父親らしいことは何もしてくれなかったな…。

全く車イスバスケの話をしていなくて申し訳ありませんが、リアルを読んでこういったことを考える人もいるということです。どこに着目するか、読んでどんなことを考えるか、マンガの読み方ってルールがあるわけではなく、読み手に一任されていて、とにかく自由なんです。それがマンガの良いところです。真面目なマンガでも、不条理なマンガでも、等しく同じです。